情報化社会だなと、改めて感じる今日この頃。
久々にあった友人でもTwitterでFacebookで情報を共有してるので、
「最近どうよ」みたいな近況報告なしでも、まるで毎日会っているような会話の流れになる。
ネット上のそういった知の集合体みたいなものを、ネット界隈で「合脳」なんて呼ばれたりしている。
世界の新しいサービス情報や面白ネタなども日々溢れてくる。
最近思うのがネット上に流れる情報の質が上がってきた気がする。
誰かが、インターネット上での質の低い情報は自然淘汰され、質の高い情報だけが残るみたいに事言ってた。
ネットの利用者推移は増加傾向にあるので、今後のその傾向は強まるのだろう。
ただ、インターネットだけでなく、情報そのものに自然淘汰的な性質があるのだろうけど。
今のマスメディアが淘汰されているように。
10年前に、小学生に携帯を持たせる事に社会的にも反発があったけど、いまや自然なことになった。
この10年でここまで変わり、あと5年、10年後はどうなってるのだろ。
19世紀以前と20世紀でコミュニケーション手段のあり方は全く違うものになってきている。
情報技術革新により、人と人との間に”時間”と”場所”という概念があまり必要ないものになってきてる気がする。
ただ、プラトン、ソクラテスなど過去の思想、哲学から辿ってみると、自己の存在について、
それらの概念を外したものだという考え方は既に導きだされている。
これまでの思想家、哲学者達も多かれ少なかれそういった考えを取り込んできている。
そう考えると、
歴史の偉人達の時空を超越した世界観が、2000年以上の時を超えて具現化されようとしている。
まさにそんな感じ。
シェイクスピア曰く、
「なんと素晴らしい傑作だ、人間という奴は!」
まさにそんな感じ。
これからどんな未来が待ち受けているのか、案外、ギリシャ哲学の中から見出せるのかも。